Monday, May 15, 2006

那谷寺.気多大社神社、新湊港、尾山神社 (2003年)

那谷寺.気多大社神社、新湊港、尾山神社 (2003年)
2003/8/13 那谷寺dーklive

2003 9月27日~28日、8万人を越える人々がdーk体感の夜でした。

能登一宮 気多大社創建ニ千百年祭


D-K LIVE の Installation


気多大社創建ニ千百年祭 拝殿や神殿の D-K LIVE Installation。

石川県羽咋市寺家町ク1  9月27日~28日両日






感想


大社本殿外壁の複雑な木製スクリーン?など、今までに無い興奮を覚えました。
四角四面のスクリーンの投影ではとても味わう事が出来ない独特の視覚はどう第三祉≠ノ
説明したら納得して戴けるか、現物を観る以外に手段は無いでしょう。 
これが標準ですと言うカタログが出来ないものです。         □□□□

昨夜の気多大社は、宇宙そのものでした。底辺に、人間のさまざまな営みがあり、
それを見守り受け入れる神社と杜、D-Kは、その御霊の気配を感じさせるようcm
大きくゆったり息づいていました。そして天には、星がまたたいていました。
すべてを見つめる、静かなまなざしでした。

愛の成就のために集まる、若者たちの無邪気さと神社の人たちの営利が見え隠れするさまcF
おかし哀しい光景でしたが、みな、何かのために真剣でした。
D-Kを見ている人見ていない人・・・
宇宙の分子はさまざまで、ひとつひとつが欲望のかたまり、でもいろんなものがすべて関係
しあってこの世界があるのですね。



昨夜は、那谷寺の時のようなトランス状態にはならず、宇宙の断面図をみて、現実を認識した夜でした。
D-Kの、新たな魅力発見です。
□□□□



D-Kがどんどん世の中に浸透していくんだろうと、ワクワクします。
D-Kは、瞑想(やったことがないので本当は分からないのですが、イメージではあ
るがままの自分に接する―みたいな感じ?)みたいなものを、
身近にしてくれる大変便利なツール、という気がします。
それは、世の人々が欲しているもの。
”映画”のようにいつでもどこでもD-Kがある♪
ひとつの文化として全世界に普及するのでは!




気多大社D-Kを見に行った私の両親のコメントです。

「現代美術は、難解で見ていて疲れるものが多いけど、

デジタルカケジクは、理屈抜きで楽しめるからいいねぇ。

ずーっと見ていると、なんか体が癒されてくるね。

スケールが大きくて、世代を超えた大勢の人と

共感できるのがすごいことや。」

金沢城で出会って以来、ファンになったそうです。

これからも「D-K追っかけ組」になりそうな感じです。



ありがとうございます。
金沢城、那谷寺とは又違った感想感激。
いつも違う、いつでも違う、夕日のごとく
同じ事を再現できない、再現する必要のない
それがDーK
やはりリアルタイムで体験し感じなくっちゃー










2002ー10ー12
DーK live 新湊 (富山県)


新湊の場のちからにあやかって、みなもに浮かぶdーkに身鏡をみた。

風はあなたです。





感想


昨日の内川とってもよかったです。金沢では感じなかった美しさをたくさん感じました。きれいな光のアートに自然が作り出す水面のきらめき・・・なんといっても川の流れのようにのバイオリン演奏に酔いしれている時一羽の鳥が舞い込んできたときはその鳥も素敵にアートされ思わず拍手と歓声があがり涙が出ました。



すごいですね。すばらしい、美しすぎる。
How fascinating!
那谷寺の感動体験が甦ってきます。じっとり、うっとり。
いつも最高の美をありがとうございます。
英杜の前川でした。


金沢城、那谷寺とは又違った感想感激。
いつも違う、いつでも違う、夕日のごとく
同じ事を再現できない、再現する必要のない
それがDーK
やはりリアルタイムで体験し感じなくっちゃ



写真を拝見して、大伽藍や名所でなくとも、ありふれた町でも十分に人々を感動させることができるのだな、と改めてD-Kのすごさを感じました。夕景から漆黒の闇への時の移ろいと水面に映える光の競演が静かに変化していく様を、写真からも感じることができました。広瀬氏の感想にありますように、思いもかけぬ一羽の鳥もD-Kの中に飛び込んできて、静と動、とりわけ生命というものの不思議さを感じcEせ、涙まで誘ったのではないかと拝察しました。光と影は、互いに干渉しあい、互いを際立たせるものなのだということが分かります。夜空に開く花火も然り、水面に映る光も然り、セーヌ川もきっとすばらしい光と影の競演を披露してくれるのではないでしょうか。


頭の回転や行動がスピードをもち備えていないため
海に沈む夕日、空に流れる雲、星座観察、空に架かった虹がうっすら消えていく様、
いったん、こういうものが意識のなかに入り込んできたら
なかなか抜けでることができない性質です。
ですから、DKもあれだけの時間ではものたりなく思うくらい
感じ入っていたのですが、DKがすばらしいと思ったのは、
「うつろい」をイベントとして、複数の人々と共有できることです。
夕日や、虹が、ふとあるタイミングでわたしの意識のなかに入り込んできたとき
「みて!空」とわたしはいつも大切な人たちにメールするんですが、
これは、けっこう虚しい行為でして…。
でも、大切なひとたちと共に、緩やかな時間を、うつろいを共有すること。
それは静かに流れるムーブメントです。

風は感じるものですね。
同じ空間で同じ時間を過ごしたことで、満ち足りた気持ちになれました。
それはすべて長谷川さんと、波の音、そして蛍光色の光のおかげ。
DKを浴びること楽しかった。ありがとうございました。



尾山神社dーkライブ
2003ー8ー9

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