Monday, May 15, 2006

「慎」の一字こそ眼なれ

「慎」の一字こそ眼なれ 
神に仕ふるは慎にかぎる事也


外宮祠官度会延佳翁言



題 「慎」 高城 治延 先生銘

精心會 平成十七年七月二日結成一周年記念東京大会にて
dーkは、伊勢神宮 高城 治延 少宮司 から「慎」と銘をいただきました

長谷川先生のご信念は神職世界道統との
調和点を有されます D-K精神である“無常”から
生まれる時空を超えた見えざる力は神道の“想念”世界
と連動した神神の力 -Something great- そのものです
凡そ三次元を超越した祈りは全てにあまねく届くべく
普遍的な情念の形式を考えます
心から先生との出会いを喜び この尊き御神縁を大事に
ご参詣の折は直接にその御奉賛のご趣旨を拝聴
致したく存じます

 平成十七年五月六日宵
   豊受大神宮にて 拝宮祠官 江澤康一


「慎」・・・人間の理性に凡そ必要
不可欠なる感情であります、つまり人間をはじめて人間
たらしめる要素と信じます。「真」・・・それは自然の
摂理。神々のメッセージです。私共が希求する“調和”
この根本に慎の存在があります。つまりD-Kは人間の
潜在感覚を等しく調和に導く力があるのです。
「慎」にこそはじまり「慎」にこそ人間として最後の時も
心得たいと存じます。


「D-K]・・・普遍的な魂の形式
「D-K]・・・あなたはどこに存在するの?
       その血は脈脈と通ります
「D-K]・・・思考からときはなたれたの?
       それは感覚秩序の世界です
「D-K]・・・祈りと結びつくの?
       心の鏡
「D-K]・・・闇に宿る希望です

長谷川先生に万謝
       恐恐謹言
 平成十七年五月三十一日 暁
      神宮祠官 江澤泰一拝


先生の世界は人類に普遍の魂なのです。もはや先生の世界でありながら
それは心を持つ全ての人人の世界なのです。それゆえに無なのでしょう。
不安からの解放、身を捧げることのできる平安、愛に満ちた世界、
闇それは希望です!

先生のご提案は祝福に満ちています。これも神の御意思です。


宮祠官 江澤康一




なにも持たづ、なにも飾らづ、なにも語らない。
自然のふるまいそのものが神道である。


無我の境地,

其れこそが、己が自然になった事であり、
自然と己がひとつになった状態のことである。
その時、宇宙は私となる。


D-Kの映像は、其れ自体が表現やシュミレーションではなく、
旬に生成されていく不連続なDATA であり、
一切は心の働きがつくり出す身鏡である。

そして、己が宇宙に存在する霊であることの確認を得る。


白山、、あh

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